その3をアップした後、半月くらい間があいてしまって。
レギュラー番組が再開したり、ACWがあったり、その上私の個人的健康問題もあり、ブツブツ。
その4も、7~8割方できていたんですが、それ以上に手をいれるのが後回しになっていて、みなさんもう忘れていますよね。
でも、中途半端もなんなので、今回で完結です。
よろしければ、前回のものをごらんになって、記憶をよびおこしてくださいね。

櫻井翔のおくのほそ道 その1

櫻井翔のおくのほそ道 その2

櫻井翔のおくのほそ道 その3



それでは、櫻井翔の奥のほそ道 その4です。

修験道の聖地、出羽三山から酒田へ。

ここで、最上川を読んだもう一つの句。
 暑き日を海にいれたり最上川

そして、松島と並び称される風光明媚な歌枕、象潟について描写した文について
女性ナビゲーターの原文朗読 → 翔くんの訳朗読


そして、この後の旅の後半は、ロケが入らないので原文朗読と訳朗読、状況解説を翔くんと女性ナビゲーターで分担しながらすすめていくことになります。

越後から市振りの関 翔くん原文朗読 → 訳朗読 

 文月や 六日も常の 世には似ず

 荒海や 佐渡によこたふ 天の河

このあたりは、芭蕉自身も加賀までの遠さを思い暑さと湿気でへとへとになり、旅の記録も完全にヘタレ状態になっている感じです。季節は、真夏。御年46歳の芭蕉にはかなり厳しい旅が続きます。
翔くんの読み方もちょっとへたれて、甘い感じ?も混じりながら・・でしょうか。

 (曲)


翔 「今回のART OF WORDSの旅に出るまで、おくのほそ道は芭蕉の旅日記のようなものだろうと僕櫻井翔はかんがえていました。でも少しづつ調べていくと、エッと驚かされることばかりなのです。ここでふたたび立松和平さんに伺いました


立松和平さんとの対談。(注:立松さんの部分については、意味をくみながら、内容をまとめています)
 翔 「芭蕉がおくのほそ道にでたのが、元禄2年の春、かきあげられたのは元禄7年の5月、5年の時間を費やしているわけですが、こういうことが紀行文の執筆にはよくあることなんでしょうか」
 立 「めったにないんじゃないですか。これは僕らの感覚とは違う。
これは、世話になったお兄さんにあげたもの、それをお兄さんが弟子たちに渡して筆写して流布していった
 蕉風の確立したのは、おくのほそ道だと思うので、蕉風を確立した過程をきちっと残しておきたかったんだと思う。だから推敲に推敲を重ねて、俳句の中もどんどん入れ替わっていって5年かかってしまった。芭蕉としたら人生をかけた完成品だったのでは。」


翔「およそ150日間かけて旅した記録をおさめたおくほそ道ですけれど、ものすごい短い文章でまさに簡潔にまとめられていますよね。今おっしゃっていたように言葉を替えながら、どんどんいらないものをそぎおとしていくかのような。短い文章、短い言葉で相手にものごとを伝える表現するこの術っていうのはどういったものなんでしょうか」
立「今の時代とは逆行している。そぎ落としていくのが俳句ですから。575しかないんですから。17文字しかないところに、その中にそれこそ宇宙を表現しちゃう。俳諧、文学はそうですけれどそぎ落としてそぎ落としていく宿命がある。俳句とはそういうものではないか。
芭蕉の散文は散文と言いつつ詩の文章。ぼくらの散文とは違う、深みがある。だから、おくのほそ道も蕉風の境地に達した喜びみたいなものを感じますね、一字一点たりとも無駄にしない感じがある。完璧な世界をつくろうという感じかな。」

翔「芭蕉のような俳句の神様でも、悩みに悩み推敲に推敲を重ねひとつの俳句を完成させるのに労を惜しまなかった、僕もいい詞ができるようにはげみにします。

  (曲)


後半の旅には死や別れがつきまといます。
金沢の街で会うのを楽しみにしていた弟子のいっしょうの早世を知ります。

 塚も動け 我泣聲(わがなくこえ)は 秋の風

山中温泉では曽良が体調を崩し、芭蕉のもとを離れ静養に向かいます。
さらに、天竜寺では金沢から付き添ってくれた北枝(ほくし)とも別れ、芭蕉は一人ぼっちになってしまいます。
日本海の旅はさびしさやはかなさを詠んだ句が目立ちます。
 
 あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風
 
 むざんやな 甲の下の きりぎりす

 終宵(よもすがら) 秋風聞や うらの山

死・別れの後にやってくるものは、再会・再生、 すべての別れが今生の別れではない。
2度と会えない人もいるけれど、みながみな2度と会えないわけではない。
別れの後の再会ほどうれしいことはない。
福井の後は、芭蕉一門が次々と集まり、大垣の大団円へと向かいます。

最後大垣部分の 翔くん原文朗読 → 訳朗読

大垣で、いろいろな人に会ったのち、9月6日になったので伊勢の遷宮を拝もうと、船で出発します。そして結びの句へ 


  蛤(はまぐり)の ふたみにわかれ 行く秋ぞ

蓋と身に別れるはまぐりのように、二見ヶ浦へと旅立つある日、寂しい季節の別れだけれど、出会いがあるから別れがある。さよならこそが私の人生なんだ。

この結びの句は、

千住を旅立つ時の矢立ての句の


  行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪


のゆく春と、ゆく秋が対照となるみごとな結びになっています。

その後、芭蕉は5年をかけて「おくのほそ道」を完成させ、故郷伊賀から九州にむかっての旅の途中

  旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る

元禄7年、享年51歳で、これを辞世の句として世を去ります。


立松和平さんとの対談
翔「一つ立松さんの著書を拝見している中で、僕が理解できなかったのは、言葉は時代を旅をするという中で、芭蕉の言葉は私達を繋いでくれる、一方で、私達の言葉も芭蕉の世界をつなげているんだっていうことが書かれていたんですが、これはどういうことなんでしょうか?私達から芭蕉というのはちょっとわからなかったんですが」
立松「旅というものが、芭蕉の時代と今では違っている。芭蕉の時代の旅はどちらかというと求道の旅。私達の旅は快楽の旅。旅の形は違っているけれど、一方でたとえば四国八十八か所めぐりみたいなものもある。先日高野山に行ったら、フランス人が多かった。彼らは文化に対して貪欲。おくのほそ道をめぐる外国人もいる。だから、今の解釈、彼らがどのように読んでいるのかは聞いていないかはわからないが、今の時代を芭蕉に向けることもできる。これだけ、芭蕉に思いを持って、おくのほそ道を旅する人がいるということは、我々も今の時代を芭蕉に捧げていて、・・・・(ちょっと、立松さんの言葉って、私にはわかりづらい感じがあるんですが、まあ、翔くんの問いに対して、私達が今の時代背景、今の私達の言葉で、芭蕉に思いをはせおくのほそ道をたどったりする、解釈したりすることの意味を言っているんだろうなって思います)

翔「立松さんがお考えになる言葉の力とは何でしょう?」
立松「何でしょう、魂に入るっていうことかな。心を動かす。その人の人生を変えるっていうこと」

翔くんの最後のまとめの言葉
「今回の番組を通して感じたこと、ぼくはこれだけ、おくのほそ道にどっぷりしっかり向きあうのは初めてだったんですが、いろいろな発見がありました。
まず、今で言うサンプリングといいましょうか。先人達の言葉を使ってみたり、また別のアプローチでその先人達の言葉を表現してみたり、何かサンプリングのようなものもあったり。
この番組の中の話にもでてきましたが、ダブルミーニング、トリプルミーニング、いろんな言葉を、意味を重ねて重ねて作っていく、すごく面白かったですね。
また今回、おくのほそ道の場所に実際に行ってみたわけですが、そこで俳句を素人ながらに作ってみる作業というのが、僕のRAP詞を書く作業にとても似ていました。というのも、リリックを書く時に、何か1枚の景色のようなものを頭に浮かべ、それを文字に書き落としていく作業をすることがあるんですけれども、まさに目の前に景色が広がっている、今見ているものを文字や言葉に落としていく作業というのは、僕のRAPを作る作業に似ていました。
ただ、それを5・7・5のわずか17文字、どんどんどんどんそぎ落としてわずか17文字に書きあらわす、異常に難しかったですね。あらためて、俳句の難しさ、奥の深さを感じました。
立松さんもおっしゃっていましたが、これから言葉と向き合っていく上で、魂をゆさぶるそんな言葉の力を感じれる瞬間がたくさんあるといいなと思いました。
これから、魂をゆさぶる言葉とどれだけ出会い、また多くの人の魂をゆさぶるような言葉を生み出せるよう伝えられるよう、これからも言葉の力を探っていきたいと思いました。 以上 櫻井翔でした」



私自身も翔くん同様、おくのほそ道の内容をちゃんと(まあ、ラジオを通してですが)知ったのって、今回がはじめてですね。本当に、前回同様、お勉強になります。

結構、芭蕉のお人柄も若干滲み出ていたりして面白かったですね。こういうものなんだって思った。

そして、今回は翔くん自身が自分がリリックを書く時とかと引き比べて考えたりすることが多かったようで、全部ローマ字にしてみるとかそんなふうに発想するんだって、翔くんの発想パターンに触れられたのが面白かった。

前回の人間失格の朗読がチョイエロイ感じもあり妄想たっぷりだったのに比べれば、どうしたってかなり健全だったけれど、翔くんの朗読の声は頭の中で響いているだけでうっとりしているので、私的にはおくのほそ道でもOKです(何でもいいって 爆)

次回、何をやってほしいかな・・・
翔くん自身の興味ということでいえば、韻文の方がいいのかなって思って、中原中也とかの詩、あと時代をずっと遡って百人一首とかね、在原業平の恋の歌とかね・・どうでしょう。








 



   

 

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2009.11.06 / Top↑

ART OF WORDS 櫻井翔のおくのほそ道 その2の続きです。

平泉の後、次のロケ地は
尾羽沢の豪商 清風に紹介されて立ち寄った立石寺(山形市 山寺)

 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声

この句の読まれたこのお寺は、標高380メートルの岩山にさまざまなお堂のあるそうです。立石寺の石段をあがる翔くん。かなり息があがっています。(行ったことがないので、その情景想像するしかありませんが・・・) あがりきって、展望台のようになっているところで。
目の前は現世、真横はお寺とお堂が立ち並んで、神聖さをかもしだしているって。
まさに絶景。この空気感を17文字に凝縮させた芭蕉のすごさを、あらためて実感した翔くんもここで一句。「僭越ながらたたきで」な~んて言っていますが

 遠くから 秋の入り口 蝉ひとり

「上に上ってみると、登山口の入口の下の方から蝉の声が一匹だけきこえたのが、秋の入り口を感じさせる蝉の別れの声のようにもきこえたので」という句だそうです。

そしてボツネタを2つ紹介。
 秋の風 芭蕉と同じ 景色かな
 時を経て 変わらぬ景色 ここにあり


「ホームを降りた時に書いてありそうな言葉だったので」、自分でボツにしたそうです。
(確かに、駅の観光用のポスターとかにありそうな感じかも)


そして、ここからRAPと俳句の接点をさぐる翔くんならではの企画です。

クイズショウ 音で読み解くマツオバショウ~!

嵐のRAP詞担当、櫻井翔です。
芭蕉の俳句をいくつか口ずさんでいてふと思いつきました。
芭蕉の俳句をローマ字でかきおこしてみたらどうだろう。

  しずかさやいわにしみいるせみのこえ
  SHI ZU KA SA YA I WA NI SHI MI I RU SE MI NO KO E

「I」の音が7つも使われている。
これって、まるで蝉の鳴き声のようなリズムですよね。
I、I、I、I、I、I、I これは「にいにいゼミ」です。
シャワシャワシャワシャワとなくあぶらぜみでもなければ、カナカナカナカナとなくひぐらしでもない。まさにこれはにいにいぜみの鳴き声です。

長年岩にしみいるこの蝉は何ゼミなんだということが、論争されてきました。あぶらゼミ派とニイニイゼミ派が熾烈な闘いをしたそうです。
現在では、ニイニイゼミという結論におちついているそうです。どう思いますか。

 なつくさや つわものどもが ゆめのあと
 NA TSU KU SA YA TSU WA MO NO DO MO GA YU ME NO  A TO

Oの音が6つもでてきます。Oの音は悲しみの音、言葉の意味とは別に音が人に訴える音です。
はたして、芭蕉先生、このことを知っていてやったのか、知らないでやったのか、むろん元禄時代の芭蕉はローマ字等しるわけもありません。
天才は言葉の力、その効果について知っていたのでしょうか。知っていたんですね、きっと。
ぼく櫻井翔もこんな言葉の力、マジックをもっと学んでもっとうまく使いこなしたいとおもうのです。

 
俳句をローマ字に直して、音の響きをみるなんて、さすがラッパー、韻をふんだり言葉をいろいろいじっている翔くんならではだなあって(私は全く思いもしないもの)ホントに感心した。
こういうところでの言葉の経験が、また次のリリックを書く時の滋養になっていくと嬉しいなって思います。


 (曲)


次は 最上川の川くだり

翔くんのロケも、最上川を舟でくだります。
最上川舟歌を歌うガイドさん(?) 翔くん達も手拍子をしている。
歌詞の内容は、船頭さんの家族にむけての「元気でいるんだぞ」というメッセージ、あと船頭さんの素朴な日常をうたったものだそうです。


最上川部分の、翔くんの原文朗読 → 訳朗読

 五月雨を あつめて早し 最上川

俳句は季語を入れるとか、575いろいろな決まりごとがあるが、芭蕉が大切にしたことに、挨拶の気持ち、その土地土地に対する感謝の気持ちを込めて読むということが一番大事なんだそうです。(by ガイドさん)

翔 「その土地土地への感謝、それも旅をしていないと強く感じることはできないんでしょうね」

最上川の川下りを終えて

翔 「最上川、川下りを終えましたけれども、夕焼けとそれがのびる最上川と左右を囲む山々といろんな表情、景色を短い時間で感じることができました」
そして、最上川下りを終えて翔くんの句

 山をやき 水面(みなも)にのびる 滝の白

「徐々に聞こえる、どんどん近付いてくる滝の音と現れた時につーっっと一線のびる滝の景色はあまりにきれいだったので」読んだ句だそうです。

 (曲)
 
その3は、長くなったので、最上川でいったん切ります。
酒田から金沢に至る道筋は、その4で



櫻井翔のおくのほそ道 その1

櫻井翔のおくのほそ道 その2

櫻井翔のおくのほそ道 その4

2009.10.18 / Top↑
櫻井翔のおくのほそ道 その1の続きです。


今日は、松島を出て、平泉中尊寺から。
源義経の最後の地ですが、芭蕉が訪れたのは義経没後500年のタイミングでした。

平泉、中尊寺部分について、翔くんの原文朗読 → 訳の朗読と続きます。

平泉の高台から、平泉藤原3代の栄華、義経の最後に思いをはせた芭蕉の句

 夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと

そして、次は中尊寺、室町時代に大火でほとんどは焼失しましたが、光堂・経堂だけが焼け残り今に至っているようです。その金色堂(光堂)についての芭蕉の句

 五月雨の 降り残してや 光堂


そして、中尊寺の執事はせきちょうげん(漢字がわからない・・)さんから、翔くんは教えをいただきます。

はせきさんのお話では、この金色堂 訪れる人は金箔にまずびっくりする人が多いが、ここはそもそも清衡公をはじめ3代の廟所であるので、(強制はできないが)まずは手をあわせていただきたいとのこと。
そして、この金色堂は平等院鳳凰堂等で有名な阿弥陀堂信仰の流れの中で作られたもので、金色堂そのものが極楽浄土をあらわしているとのことでした。

翔くんとはせきさんとの対談

 翔 「清衡公がこのお寺を争いのない平和な社会をという思いをこめて造ったというお話をいただきましたが、今実際にそれと世の中が逆行している部分があるかもしれない中で、ここを訪れる方に感じていただきたいものはどういうことなんでしょう?」
 はせきさん 「いろんな形で起きる争いごと、誰にでも起きるんだと思います。われわれも朝、夕 金色堂に手を合わせに行き、自分自身では平和を感じるんですが、みんなにもそういう気持ちを味わってもらえれば・・何も、金色堂の前に行かなくてもどこにあってでも、朝なり夕なり手を合わせて一度落ちついた気持ちになることで、その人の平和っていうか安心があってくれればいいんじゃないか そういう時間を1日の中で持ってもらえればいいかなと思います」
 翔 「それぞれの中の平和、それぞれの中のおだやかな気持ちを作り出す ウーン」

 そして翔くんの句
 金色の 平和の願い 手を合わせ

「金色のお堂は圧巻でしたけど、「わーすごい」となる前に手を合わせることを忘れてしまいますよね。そこは一番大事なところだなと思いました。
 金色堂そのものが極楽浄土であり、争いのない平和な世の中を願ったときいて、平和の願いがつまったお堂なんだな、争いの中に生まれた人は、より強く平和を願うことができるんだなと思った瞬間でしたね」


書いていて、驚くんですけれど翔くんのフリートーク部分(インタビューや感想をいっているところ)が、すごくきっちりした言葉だということ。
前に少クラプレミアムの岡田くんのゲストの時の翔くんのコメントに、太一くんと岡田くんで「ノー編集でまるまる使えるコメントどりだった」と驚いて、感心していましたけれど、改めてきっちりした言葉をしゃべる人だなって思いましたね。(もちろん、いろんな準備はしているだろうけれど、台本をまるまる読んでいるところでもないのでね)
 ☆ 岡田くんの少クラプレミアム
(←こちら) 
 ☆ 翔くんの少クラプレミアム
(←こちら
話し言葉って書きおこしてみると、普通もっと文章として通らないいい加減なものなんですよね。聞いていると、その方がわかりやすかったり、ききやすかったりするけれど、文字に落とすとそのままでは何がなんだかわからないものになりがち。翔くんのはほぼそのまま使えましたね。(はせきさんのは、若干私の方でよみやすく編集しています)
これってすごいなと改めて感心しました。

 余談 これで思いだしたこと、ニノが前に流星だったかのインタビューの時に、どうしてそんなに自然にできるのかといった問いに答えて、台本の言葉に余計な言葉を加えるといったことをいっていたように思います。これって、この翔くんの逆ですよね。
話し言葉にする時は、無駄な繰り返しを加えたりした方がより自然にきこえたりする。
翔くんもニノも言葉をすごくよくわかっているんだなって思います。


もとにもどって、この平泉の部分の朗読、声は甘いんだけどでも、ちょっときりっとした感じ。
この朗読の後の対談の中で、平和についてとかZEROモードの櫻井翔が登場するので前段部分の朗読も、松島部分とは明らかに違う。
部分部分で、いろいろ細かく変えてきているんだなあって、感心。

 (曲)

長くなりそうなので、ここまでで1回切ります。
次は、山形から。



よろしければ、前回のものをごらんになって、記憶をよびおこしてくださいね。


櫻井翔のおくのほそ道 その1


櫻井翔のおくのほそ道 その3


櫻井翔のおくのほそ道 その4





 


 



 



2009.10.15 / Top↑

10月12日体育の日、18:00~からオンエアされたJ-WAVE SPECIAL ART OF WORDS 櫻井翔の「おくのほそ道」 についてです。
これは、「ART OF WORDS」の第2弾。
これは、ある文学作品をとりあげて、そのものの朗読、それに詳しい方と翔くんとの対談、ゆかりの地をおとずれてのロケなどから構成されております。
第1弾は、今年5月4日にオンエアされた櫻井翔の「人間失格」

まあ、退廃的な雰囲気を翔くんの声がステキに表現していて、ちょっとした妄想ワールドでありました。そして、言葉に対する翔くんのこだわりもいろいろきけて・・それも楽しかった。
「人間失格」(←このレポはこちらから)

でも、今回は松尾芭蕉「おくのほそ道」ということで、前回とは全く趣が違うし、はたして妄想に浸れるのか(おいおい、趣旨が違うでしょ!って)

でも、太宰作品とは全く入り込み方が違うけれど、十分至福の時間でございました。


そして、まず最初にお詫びから。

もろもろの事情により、最初15分前後録音に失敗しております。というわけで、レポは録れた時間から。
ちょうど旅立ちの部分を原文をで読んでいるあたりからとれていました。
お友達情報では、その前はごあいさつとか曲がかかったりして、導入の言葉があったりしたのかな・・そのあたりが抜けております。ご了解くださいませ。
失敗したもろもろの愚痴と、聞いての興奮の第一印象はこちら(←)


(芭蕉庵をひきはらう部分はとれていません)
親しい人達が千住まで見送りにきてくれた出立の場面です。
原文がきて現代語訳
原文はしっとりとした感じで、訳は情感をこめて読んでいきます。

矢立てのはじめの句(旅の最初の句っていう意味だと思う・・たぶん)


  行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪

当時は、旅っていうのは、気軽なものではなくて、おおごとだったんですよね。
親しい人達がみな見送りにきてくれて、ここでの別れがこの世の別れになるかもしれない。そんな寂しさいっぱいの中、でも芭蕉はそれでも旅立たなければならない。
(訳を読む翔くん、いわゆる古文の授業の訳ではなくて、古文っぽい表現も残しつつもう少しくだけた感じ? 友や弟子たち、もろもろのものとの別れのばめんで寂しさがあふれてひたひたと迫ってくるような朗読です


そして、女性ナビゲーターの旅立ちに至る状況の説明
松尾芭蕉については、江戸時代の俳人というくらいしか、基礎知識がなかったのですが、伊賀に生まれ、江戸で売れっ子俳諧師(職業で俳句を読む人)になって、弟子たちもたくさんいてひいき筋もたくさんいたのが、37歳の時華美な生活を捨てて、芭蕉庵を結び蕉門を確立します。そして、その後46歳の時に弟子の河合曽良とともに、みちのくへの旅に出ます。曽良は優秀な弟子で、旅の一切合財の面倒をみてツアーコンダクター的役割を果たしたようですね。

そして、おくのほそ道の旅へと出た、この46歳という年齢。
今でこそ、46歳なんて、年寄りの範疇ではないけれど(40代半ばで年寄り扱いされたら、ショック)当時は人生50年の時代だから、今とは随分年齢の感覚が違うんですね。だから、未知のみちのくへと旅立ちも、どちらかというと、ルンルンというより悲壮感漂う感じがあったようです。


「芭蕉の旅の目的は何だったのか?」
翔くんと立松和平さんの対談です。
「芭蕉の旅はやむにやまれぬ衝動である」
今までの俳句はどちらかといえば、言葉遊び的なもっと軽い感じのものであったのを、蕉風を確立し、文学としてもう一つ上のステージをめざすために必要なことであったということです。
「旅をする」ということは、社会的にがんじがらめになった状態をすべて捨てるということととらえていたようで。
芭蕉庵を結んで、俗世からは一歩距離をおいて俳句を芸術性の高いものにしようとしていたところを、さらなる高みをめざして、旅という現実からいったん解き放たれた世界に踏み出したんですね。

(曲)

女性ナビゲーターの説明で、春の関東平野を北上するさまは端折って・・・・。


松島に到着

翔くんの 日本三景 松島ロケ
芭蕉が「美人のかんばせをよそおう(スッピンでも美人なのにさらに化粧をしたような絶景)」と形容した絶景です。そしてあまりの素晴らしさに句がよめなかったんだそうな。

松島部分の朗読 原文→訳

あのね、訳の方ですけど、自然描写を読むのにこんなに色っぽいってどういうことですか??
絶対、翔くんもディレクターさんも、遊んでますよね(笑)

  (前略)
  そこに浮かぶのは数え切れないほどの島 島・・・・・そして 島、島・・・・(ムダにエコーかけてるし 爆)
  天に向かってそびえたつ島
  波間にねそべるように浮かぶ島
  ふたつがさねの島
  三つ折りの島
  左にも島
  右にも島
  離れたと思えばつながり一緒かと思えば違う島
  小さな島をおんぶしているかのような島
  だっこしている島もある
  子どもや孫と遊んでいるかのように見える島もある
  (中略)
  ああ~、もう降参だ
  ああ~ 俳句一つだって吟じられない。
  ああ~。

途中から、エコーはかけるわ、ため息は入るわなんですけれど・・・
内容だけ文字でみると、別に普通の自然描写なんですけど・・・
自然描写のくだりなのに、うっとりききいってしまうって、演出にまんまとはまっている? 翔くんの低音が甘すぎるんだと思います。(すみません、ビョーキなので)

俳句の神様がやっとの思いでひねりだした句が
  松島や ああ松島や 松島や
だって翔くんはずっと思っていたんですって。
でも、これは実は芭蕉のものではなく、昔の観光用のコピー(私も、これはきいたことあったけど、何が何だかよく知らなかった)

そして、結局芭蕉は句が読めず。

翔くん、松島をめぐる遊覧船からのレポ
翔くんの、松島評です。
「句が読めなかったという景色を見終わったんですが、何かこう口をあけてしまう、言葉がでない絶景というよりは、ジグゾーパズルをとんかちで割っていろんな大きさに別れたような、おもちゃ箱をひっくり返したようなそんな景色でしたね。小さな島に松の木が一本だけ立っていたりとか、はたまた大きな島に木々が生い茂っていたりとか 楽しい景色でした。句が読めないほどの絶景というよりは、時間を忘れるような楽しい時間でした」

そして・・・・翔くんも、全く句がよめず。

(曲)

その2に続く



櫻井翔のおくのほそ道 その2

櫻井翔のおくのほそ道 その3

櫻井翔のおくのほそ道 その4
 

2009.10.15 / Top↑
翔くんのART OF WORDS まだ、最後ちょっとのこしていますが、あらかたききました。

最悪なことと、最高なこと

最悪なこと。 はじめ15分ほど録り損ねた。

タイマーをかけていた1台がなぜか動かず。(息子がぎりぎりまで,CDかけていたせい??) 気がついて、15分ほどしてからスタート
手動で動かしたもう1台、確認したはずなのに、10秒ほどしか入っていなかった


最高なこと。 翔くんって神ですか?(おおげさ?まあ、大目に見てください)
「おくのほそ道」をきいて、うっとりするとは思わなかった 爆
原文、現代語訳の時は低く甘い声、
インタビューの時は、落ち着いてかつ快活に
語りの時は、理知的に。
一人でこんなに使い分けられるものなんですね。

途中、自作の俳句を披露したり、俳句をローマ字に直してみて音韻を考えるといった翔くんならではの発想も。

すてきな時間でございます!

後日、詳しくレポします。(最初の15分はごめんなさい)



2009.10.12 / Top↑

三鷹のこせん橋(すみません、漢字がわかりません)からのロケの後から、その3です。
今日こそ、終わりまでいきたいと思います。


翔くんのトークから。
「太宰の作品は彼のどんな人間性から生まれているのでしょうか?」
猪瀬さんの言葉によれば
「太宰には開き直った部分が常にあって自分は弱い人間だからしょうがないと思っている部分がある。そこが逆に強さの秘密」ということです。
その後、猪瀬さんの著書「ピカレスク 太宰治伝」にのっているエピソードについての話が続きます。
太宰は、宿泊していた熱海の旅館で、お金がなくなってしまったため、弟分の檀一雄を人質??に残し、東京に金策にもどったものの全く戻ってこず、檀が東京にもどり探したところ、お金を集めていないばかりか、井伏鱒二と将棋をさしていたという話です。

ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)
猪瀬 直樹
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そして、ここからそのエピソードを受けた猪瀬さんとの対談

猪瀬さんいわく、太宰はこう言って開き直ったとか。
「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね」
(恐ろしいほど、身勝手というか、自由というか・・)
猪瀬さんによれば、太宰の文学はこういう部分にあるとか

井伏鱒二は、どちらかというと破綻のない旅をおくることを前提にしている、予定調和で生きている人でこういう人たちが日本中にいる大多数であるわけですが、
しかし、太宰は「作家は明日どうなるかわからないものだ」と考えていたと。
太宰の遺書には、「井伏さんは悪人です」とあるそうですが、
偽善的な予定調和の世界を挑発する姿勢が太宰にはあったということです。
井伏さんは、「個人であり世間だ」というふうに話はすすみます。
(たぶん、翔くんいつもの通りしっかりいろいろ読んで下調べを十分しているんだと思うんですが、こういうところのやり取りも、ちゃんと理解して話しを進めている感じがあって、安心してきけるやりとりです)



再び、朗読にもどります。

ヨシコと結婚して、酒をやめ、まっとうな生活をおくりつつあった葉蔵だが、ホリキとのつきあいがまた復活する。
そして、京橋で飲み歩いたり、シズコの家に遊びに行く生活がまた復活する。
そんな夏のある日、アパートの屋上でホリキと飲んでいた時、部屋でとヨシコが別の男と浮気をしているところを目撃する。

その後、ヨシコはおびえ、その関係は緊張に満ちたものとなり、葉像はアルコールに溺れるようになる。

そして、雪の日銀座の裏通りをさまよっている時、突然吐血する。
そして、何か薬をと思い入った薬局の奥さんに、アルコールを止めるために、モルヒネを処方される。
そして、だんだんモルヒネなしには生活がおくれなくなってきて、薬目当てで薬やの奥さんとも関係を持つ。

そして吐血したことを知ったホリキがヒラメを連れて現われ、精神病院に運ばれる。
「自分は人間失格」、
そして故郷の兄が訪れ、父親が死んだことを告げ、葉蔵は田舎へ引き取られる。




最後に、猪瀬さんとの対談。
今回の番組のテーマについて、「猪瀬さんからみた言葉の力とは?」
猪瀬さんいわく、「この人しかしゃべれないという文脈をもっているかどうか
単語をいくらならべても言葉にはならない」「言葉は個人である」と
翔くんは、
「単語の羅列だけでは言葉にはなりえず、その人から発された文脈のなかではじめて力をもつことができるんですね」と応じます。

そして、猪瀬さんからは、「言葉がすべてである」「言葉により個人はどんな大きな組織にも勝てる」とも。

今回の番組についての翔くんの感想です。
「朗読は面白かった。朗読によってその主人公になり、自分の中にその力が凝縮されていくような感じ、不思議な初めての時間を経験した」とのことでした。
そして、「人間失格」の中では「世間とは個人である」という言葉が残り、
猪瀬さんの「言葉がすべてであると言っていい」という言葉も残ったそうです。

そして、翔くん自身は現時点では、猪瀬さんほど「すべて」とはいいきれないものの「言葉が何かのきっかけや、ある一つの力になればいい」と考えているということでした。





そして、私の感想。
正直、こんな機会がなければ太宰をきくことはなかったと思うので(基本私小説的なものってあまり好みでないので、あっ太宰が私小説というのは誤解かもしれませんが)まあ翔くんがきっかけで、ちょっとかいまみれてよい経験でした。
その上、レポするんで、聴き直したりしたので、かなり頭に入ったかも。

それとね、この番組を通じて、翔くんの成長と新たな魅力(だって、こんなに朗読が、良いなんて思わなかった。ヤッターマンPVのアフレコも一番苦労していたと聞いていたしね)を発見できて、まあ私的にはそれが第一ですよね。

あとね、音だけ聴くって好きだなって思いました。
音のみっていろいろ想像、妄想が広がりますよね(笑)

結構気合が入った企画だったし、ぜひ別の作品でもやってほしい(ふっと思いついたのは「華麗なるギャッツビー」とかだけど・・どうかな・・、まあ、いろいろあてはめて妄想してみます(笑)


読んでいただい方、ありがとうございました。


櫻井翔の人間失格 その1

櫻井翔の人間失格 その2











 







 

2009.05.12 / Top↑

JーWAVEスペシャル 「Art of Words ~櫻井翔の人間失格」その2です。

その1は、翔くんがRAPについての話している部分で終わりましたが、その後、太宰の文章についても話しています。
今日は、その部分から。



翔くんは
「太宰の文章には独特のリズム感があるように思いました」
それは、「少し心地良い時もあれば、何かちょっと気持ち悪く時もあるのですが、読み終わってみるとその独特のリズム感に包みこまれるような不思議な感覚を得ました」
そして、その感覚を、
「きれいな不協和音」と表現しています。


(うーん、翔くん自身が詩人ですよね。
自分の感じた感覚を言語化するのが、すごく上手だなって思います。
それに、その表現が「きれいな不協和音」とか、とてもオリジルな感じがします。)




そして、再びロケの模様。

今度は、入水自殺をした玉川上水からです。
(これも、ZEROでやっていましたね)
入水した場所には、「ぎょくかせき(漢字がわからないです。玉華石?)」と書かれた無名碑だけがたっているそうです。
玉川上水は以前、「人喰い川」ともよばれた流れだったそうですが、私も翔くんと同じく玉川上水の印象ってすごくおだやかな流れで、自殺ができるような印象はまったくないですね。




猪瀬さんとの対談

猪瀬さんは、太宰は「心中事件の最後の最後まで死ぬつもりはなかったんじゃないか」と思うこともあるそうです。
ただ、当時せっぱつまった3角関係になっているので、もつれた糸をほぐすのがもう難しい状況になっていたそう。
その状況を「世田谷区の道路にスポーツカーではいっていったようなもの」「車捨てるか、行く道をあきらめるしかない」状態と2人で話しています。(そのたとえ、いいな本当に道幅狭いし一通が多いし、迷いこんだら最悪かも 笑)


翔くんの「人間失格は遺書のかわりだったといわれているが、もし死んでいなければ、その後どういう作品を書いたと思うかどういう作品になったと思う?」という問いに対して
猪瀬さん「また、人間失格に類するものを書いたのではないか」
翔くん「太宰史の中での人間失格の魅力は?}
猪瀬さん「人間失格は太宰治の集大成、今までの自殺未遂がその中に集約されていて、彼のピカレスクとしての人生が人間失格の中に語られている。人間失格の後にはさらなる人間失格しかなかったのではないか」とのこと。

(「人間失格」というのは太宰治のエッセンスのような小説なんですね。)





再び、朗読に。

葉蔵は自殺未遂を起こしたあと、父親の太鼓持ちのような男で、身元引受人であるヒラメの家にもとに身を寄せて、その監視の中を過ごしているが、自由を求めて、ヒラメのもとをとびだす。
どこにも行くあてがなくい葉蔵が思い出すのは、ホリキのこと。そしてホリキしか思い浮かばない自分に自己嫌悪を感じながら、それでもホリキを訪れる。
葉蔵はそこで、雑誌の編集者であるシズコと出会い、彼女が5歳の娘と住むアパートに転がり込む。そこで「男めかけ」みたいな生活をおくり、シズコの紹介でほそぼそとマンガの仕事をはじめる。しかし再びホリキとの交流がはじまり生活はすさんでいく。
ホリキは、「おまえの女道楽は、これ以上は世間が許さない」
葉蔵は心の中で「世間というのは君じゃないか」「どこに世間の実体はあるのでしょう」「世間が許さないのではなく、あなたが許さないんでしょう」
と思うが、実際にはへつらって笑うだけ。
でも、そこで「世間とは個人じゃないか」という思想めいたものを持つようになる。

遊び歩いてシズコの家にもどるが、シズコとシゲコの幸せそうな様子をかいま見て自分の居場所がここにはないことを思い、シズコの家をでる。
そして京橋のバーのマダムを頼り、そのスタンドバーの2階に転がり込む。

「世間なんてこんなもの」なげやりな葉蔵の前に、バーの向かいのたばこやの17,8の娘ヨシちゃんがあらわれる。
ヨシちゃんは、まだ世間をしらない処女で、葉蔵にたばこやお酒をやめるようにすすめる。今までまわりにいなかったタイプのヨシちゃんからは穢れのないニオイがする。
そして、葉蔵はヨシちゃんと結婚する。

(あのね、ヨシちゃんに話しかける時の葉蔵の声、話し方がちょっとゾクゾクするんです。それまでの葉蔵のトーンとはちょっと違うんですよね。
ちょっと甘えた感じもあって、翔くんってこんな感じでしゃべれるんだって、ちょっと新鮮な感じ

そして、この朗読の後に流れる曲、何ていう曲なんでしょう。男性ボーカル、ブラックな感じがします。
朗読内容からの流れにすごくあっている気がしてこの選曲いいなあ。この流れがすごく好きなんです。
波乱の中の束の間の小休止という感じ、祈り、優しさが感じられる歌声です。


そして、再びロケ。
三鷹駅近くの電車庫近くにある陸橋からです。
(ここもZEROでやっていました)

陸橋は当時のままですが、当時はそもそも電車ではないし、風景・状況は当時とずいぶん違っていますよね。

そして、翔くんは青森からでてきた太宰の胸中に思いをはせています。


ということで、今回もかなり長くなりましたがここまでにしたいと思います。

読んでいただいてありがとうございます。


読んでいただい方、ありがとうございました。


櫻井翔の人間失格 その1

櫻井翔の人間失格 その3

リーディング・ドラマ「人間失格」←ZEROの話はこちら



2009.05.09 / Top↑

5月4日(月)、J-WAVEでオンエアされた「Art of Wods ~櫻井翔の人間失格」についてです。

まず最初に、翔くん、J-WAVEのスタッフの皆様、猪瀬直樹さん、すごく中身の濃い番組をありがとうございました!

私自身は、太宰って教科書の「走れメロス」しか読んだことがなく、暗く重いイメージがあって何か読む気がしなくて名前は知っていても近づかずにいた感じがあったのですが、今回の番組で翔くんの声で聴けたこと、猪瀬さんと翔くんの対談で太宰の人となりにちょこっと触れることができたことで、「人間失格」自分でも読んでみようかなっていう気になりました。


あと、途中で翔くんの言葉に対する考え方の一端として、RAPに対する考え方、リリックの書き方についての話などがきけたことも嬉しかったです。

音楽の入れ方も選曲も,さすがJ-WAVE良かったなって思います。


そして、今回の企画、映像がないことで逆に世界の広がりが感じられて、ラジオならではの面白い企画だったなって思います。


この企画、不定期でよいので続いてくれたらいいたと思います。
古典でも、翻訳ものでもいいなと思います。


というわけで、全体の流れを追いながら、ちょこっと感想を。
長いので、途中までとりあえずいきたいと思います。






まず、番組は太宰治が眠る三鷹市禅林寺を櫻井翔がお参りに訪れたところのロケからはじまります。
(ここはZEROで映像で流していましたね この時ことについてはコチラ→)

そして、
「あらためまして、こんばんわ、櫻井翔です。
人間は言葉をあやつり、言葉は人間を動かします。
僕自身、嵐のメンバーとして音楽活動だけではなく、テレビの司会、ニュース番組のjキャスター、ドラマに映画、そしてラジオ、様々な仕事でいろいろな言葉を使います。何かが伝わったと確信した時の達成感、何も伝わらなっかったんじゃないかと思った時の不安、元気づけられましたと反応があった時のうれしさ、人を傷つけてしまったんじゃないかと思った時の悲しさ、くやしさ、言葉は本当に大きな力を持っています。」
という翔くんの言葉から番組はスタートし、番組の構成についての説明。
今回朗読する人間失格は原文のままではなく、現代風にアレンジを加えて、ダイジェストにしたものなんですね。
(基本、翔くんは、朗読者であり、番組のナビゲーターであり、インタビュアーなんですが、ところどころにこんなふうに翔くん自身のあらわれる言葉が混じります)


私は「人間失格」の原作を呼んだことがないので、「人間失格」の内容について触れているところは今回の朗読劇からの引用またはそれをきいての印象で書いていますので、ご了解ください。


そして最初は「人間失格」のはしがき
3枚の葉蔵の写真、10歳くらい、高等学校か大学くらい、そして年齢不詳のものの描写から・・


次に「第一の手記」
「恥の多い生涯をおくってきました・・・・」からはじまります。
幸福のイメージが世間と食い違っていると感じる不安、そして、道化をよそおい自分を偽ってみせて生きて、そのことは孤独のニオイを感じさせることとなり、それを本能によって感じるとる女性たちからつけこまれる人生になったと・・・


猪瀬さんとの対談
「作家太宰治の魅力を作家という立場から」猪瀬さんが語ります。
太宰はとっても、あまのじゃく右といったら左、左といったら右というような人であったこと、
太宰は自殺未遂を4回やっていて、自殺未遂をしてはそれを題材にして売れる小説を書こうとして、自らの命を削りながら書いている、そういう強さがあるということ。
そして、原体験としての芥川龍之介に対するあこがれ。
小説家としても、見た目的にも、10代の太宰にとって芥川はあこがれの人でありました。
そして、太宰が10代の頃に自殺、自殺の理由「漠然たる不安」、それが一番かっこいい生き方であるように太宰の中には刷り込まれてしまったとのこと。
(うーん、太宰って少年ぽいあやうさをずっとひきずりながら大人になってしまったのでしょうね。なんか、妙に短絡的っぽい部分も感じられて、親近感もわくけど、でもちょっとどうかなあ・・でもそういうものをまるごとかかえているからこそ書けるものがあるんでしょうね)


「第2の手記」
中学時代から心中事件まで。
中学の同級生で、自分がとるにたりぬ存在とみなしていたタケイチから、道化を演じていること見抜かれ、そのことをみなにしゃべられてしまうのではないかという不安にさいなまれ、タイイチにこびる。
そして、タケイチが「おまえはきっと女にほれられる」「おまえはきっとえらい絵描きになるよ」と予言する。
そして、父の命で東京の高等学校へ進学。
でも美術への夢をあきらめきれず、高校そっちのけで画塾にかよいだし、そこで悪友ホリキとであう。
ホリキは都会の与太者、かつ自分にとっての便利な男で、お互いに軽蔑しあいかつ依存しあいながらどんどん自堕落な生活へとおちていく。
そして、銀座のカフェの女給ツネコと出会い、二人で鎌倉の海に飛び込み心中するも、自分だけが助かる。



ここで、ちょっとブレイク。
翔くんの自分の話。
翔くんは言います。
「RAPの魅力は音や言葉を紡いで作る言葉の芸術、メッセージが直に伝わりやすいのが魅力である」と

ふだん、嵐のRAPのリリックを書く時には2パターンあるとか。
もともと、歌詞ができあがっているところの間をうめるようにRAP詞を書いていくわけですが、
歌の世界観に合わせていくパターンと、
嵐からのメッセージとして、あえて歌の世界観からドンと離れて自分達に引きつけて書くパターンと。

あと、「きれいな比喩を使いたい」とも言っていました。
たとえば嵐を「貪欲な若葉」と表現している詞があって、応援してくれるファンが日の光で、まだまだ青二才の自分たち嵐がそれによって育てられていくと。
「きれいな比喩」というのは、「いろいろなとらえ方をしてもらえる表現方法でもある」と。

RAP特有の韻を踏むことについて。
以前は単語単位で韻をふんでいたのが、ここ3~4年はそれに加え、単語の中でもまた韻を踏むことができるようになってきたとのこと、それによってまた新しいリズムが作れるようになってきたとのことでした。
そして、「Hip Pop Boogie」の最初の部分をとりあげて解説してくれていました。

(翔くんのリリックの書き方とかがわかって、すごく面白かったけれど・・今まですごく感覚的にしか聞いていなかったので、っていうか・・声と歌い方と顔をみちゃっている・・・ああそうなんだって思いました。アバウトでごめんね。
今度、もう一度RAP入りもの、そういう視点で聴き直してみようって思ったヨ)


朗読とそれ以外の時、全然声のトーンが違っていて、朗読以外の時はいつものさわやかな翔くん。
そして朗読の時は、もっと押さえたトーン。
声については、朗読の後半部分でより感じることが多かったので、次回後半でたくさん書きたいと思います。

読んでいただい方、ありがとうございました。


櫻井翔の人間失格 その2

櫻井翔の人間失格 その3

2009.05.08 / Top↑