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先日、「俳優 櫻井翔」っていうエントリーの中で、「音楽誌が書かないJPOP批評 ジャニーズ超世代「嵐」をよぶ男たち」のコラムの中でのニノの演技をアナログな演技、翔くんの演技をデジタルな演技とするコラム記事の紹介をしたところ(→「俳優 櫻井翔」はこちら)、いろいろコメントをいただきました。その中で、このコラムの書いた成馬零一さんというライターの方がご自身のブログで、このテーマについてもう少しつっこんでかいていらっしゃいますよということを教えていただきました(私信:ピロさんありがとう)
早速、読みにいってきたら、面白かったしあのコラム記事の真意がよりわかりやすく書いてあったので、ご興味のある方是非読んでみて!って思って記事立てしてみました。
(もちろん、いただいたコメントのところにURLはってくださっているんですけれど、ここにもはります。 「はて☆なりま」 2010-01-13 )

あのコラムの中では、デジタルな演技、アナログな演技っていう言い方をしているんですけれど、これをキャラクター芝居、人間芝居という表現に変えて様々な俳優さんとか監督、脚本家などをひきあいに出して語っています。

あまり、中途半端な引用をするのも真意が誤解されて伝わると困るので、まあ読んでいただく方がいいんだとは思いますが。
たとえば倉本聡さんのドラマが人間芝居を生かす、または求める脚本だとしたら、クドカンドラマはキャラクター芝居を生かす、または求めているものだとか、
龍馬伝の中でいえば、福山さんはキャラクター芝居の人、香川照之さん、大森南朋さんは人間芝居の人とか。ダイワハウスのダイワマンのCMの中での役所弘治さんが人間芝居なら、唐沢寿明さんはキャラクター芝居であるとかね。
そして、これまで芝居が上手いっていうと人間芝居をする人を漠然とイメージする場合が多くて、一歩低くみられがちなキャラクター芝居だけれど、今需要として圧倒的に多いのはキャラクター芝居の方だとか・・、そしてなぜキャラクター芝居の需要が増えているのかとあ、この2つが今後どうなっていくのかとかにも言及していらっしゃったりして。見方の一つとして、興味深いです。


で、嵐に話しはもどるわけなんですけれど・・・
ここから先はあくまでも、私見。
いいことばっかり書いているわけでないので、そういうのはちょっとという方はやめておいてくださいね。





ニノ作品について、ヤマタロと流星、それぞれのでのニノの引き立ち方の違いが面白いなあって思いました。
ヤマタロ、楽しくって個人的には大好きだけど、役者としてのニノが物凄く生きている作品かと言われば、どうなのかなあとも思うんですよね。(あくまでも、個人的な意見)これって、人間芝居のニノに山田太郎っていうバリバリのキャラクターを演じさせたことで、ニノ本来のよさがそれほど際立たなかったっていうことかなあって。
(普通にいいんですけどね)
逆に流星はクドカンらしいめりはりの中で、人間を見せる部分をうまく組み合わせようとしてうまくいった例かなあって。脚本の中でおそらく誰が演じるのかという部分も意識して書いているのかなあと。(これは、あとから流星の時買いこんだインタビューとかをちょっと見返してみようかなあって思います)だから、ニノをうまく生かす形になっていて、結果ニノの演技力がすごくドラマの中で生きているのかなあって思います。(あくまでも私見ですけどね)

人間芝居と考えられる役者さんは、いわゆる「演技派」と言われる人は多いけれど、キャラクターのたった演技をする場合それが上手でないとう評価ではないと私は思っているし、両方をうまく使い分ける人もいますよね。どちらで、その持ち味をより発揮するかということはあるけれど・・。
今のところで言えば、潤くんはキャラクターのたったものでの評価が高いけれど(花男とか)そうでない方へも意欲的ですよね。
大ちゃんは、実はどっちもうまいなあって密かに思っています。




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2010.01.23 / Top↑