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月曜日(11/14)、青山2日目のソワレに行ってきました。
(お声をかけてくれたお友達に感謝!)

よいという評判はきいていて、本当に期待値が上がった状態でみましたが、その期待をこえてくる素晴らしさでした。
潤くんも本当に美しかった。


一部、ネタバレ的になる部分も含むので、感想は続きに。


パンフレット、買って帰ってきて読み始めようと思いましたが、インタビューなどなど読みこむ前にとりあえず、初見での感想を挙げてからにしたいと思ってまだ読んでません。

実は、様々な雑誌類もシアターガイドと別冊+アクトくらい。

原作も読もうと思ってAMAZONに注文してたけど、全然届かなくて(12月になると言われた)、
もちろん、いろんな論評もネットにあがったのはパラパラ読んでいるけど、まだそんなに読みこんでません。

とりあえず、自分の気持ちを吐き出したところで、いろいろ読みこんでみようかと。
(だから、見当違いのところなどもあるかもしれませんが、ご容赦を)





ネタバレ要素ありなので、下げて書き始めます。







まず最初に、とてもよい舞台でした。今年、結構舞台を見に行っているけれどかなり良かった。こんなステキな舞台を作り上げてくれた潤くん、小出くんをはじめカンパニーの皆様に感謝!

それから、潤くんにこの役をオファーしてくれた蜷川さんに感謝。潤くん自身にとっても、チャレンジングで難しい役ではあるけど、これが潤くん自身が今乗り越えるべき壁を呈示してくださったわけでもあるわけで。この時期にこんなにじっくりと、蜷川さんとの組む機会に恵まれた潤くん本当に幸せだなって感じました。そしてヲタ的にみても、その努力の方向が「こんな潤くんをみてみたい!」という願望に沿った姿。お互いにとって、とっても幸せなことだったと思います。


潤くんは、とにかく美しかったです。そして、その肉体の美しさが単にきれいということではなく、鍛え抜かれた美しいあの肉体があってこそ、新次というのは初めて成り立つ役なんだっていうことを心底実感しました。
伝わるかな・・・・あの鍛えられた肉体の美しさって、このお芝居がリアリティを持って成り立つための必要不可欠な要素で。そしてそれをこんな魅力的な状態で呈示してくれた潤くんに対して、すごく誇らしい気持ちさえします。(すっかり身内気分ww)

この「あゝ荒野」、観ながらずっと私の頭の片隅でふつふつとしていたのが、
「蜷川さんは、今この寺山修司の『あゝ荒野』を呈示する意図ってどこにあるんだろう」っていうこと。
この話って、60年代っていう時代の新宿歌舞伎町という街(東京の繁華街が数あれど、渋谷でも六本木でも銀座でもない)その猥雑な空気感を背負って成立している部分がすごく大きいように感じる。

そしてその空気感をバックグラウンドとして、新次の精神性、バリカンの精神性、早稲田大学自殺研究会の面々の精神性っていうものがあって、それは当時確実にあったものの象徴だと思う。
それぞれのタイプがあったし、1人の中で共存していたものでもあった。

私自身は寺山修司は読んだことがなくて、だからあくまでも、この舞台をみての勝手な憶測ではあるけれども、
寺山修司は自分自身の肉体を投げ出さずに思想だけをこねくりまわすこと(ある意味知識人の象徴ともいえる)への反発というかうしろ暗さがあったのではって思う。
そういう意味で、新次とバリカンっていうのはある意味表裏一体をなして、極論だけど寺山さんの憧憬するものだし、そのアンチテーゼとして早稲田大学自殺研究会を配しているのかなと。
1幕の中に描かれる、娼婦に対するシンパシーっていうのもそこから出ているのかなって思ったりする。

台詞自体は観念的な言い回しの長台詞が多く、言葉は難しいです。
それは、少年院あがりの新次にも、バリカンのモノローグも、娼婦の言葉もすべてそう。(もちろん、早稲田大学自殺研究会もね)
すごく観念的だしその言葉の裏にいろいろな意図があったりする。
でも、台詞が観念的に饒舌に進む一方で、最後に究極の肉体と肉体のぶつかりあいであるバリカンと新次のボクシングシーンをしっかりみせること、そして新次とバリカンのその肉体のあり方自体がその精神性と表裏一体になっていて美しく見事であるから、これを芝居として見せられた時すごく納得感がある。(原作は、逆に視覚的に納得する部分がないので結構厳しいかもしれない)

だからこそ、肉体を鍛え存在自体が新次でありバリカンであること。そして最後のボクシングの試合の部分をいかにきちんと見せられるかが大きいのだけれど、それをクリアーした主役2人の努力には本当に拍手をおくりたい!


新宿新次、一歩間違えればチンピラのようで生意気だけど、でもすごく健全である種地に足がつき、そして現代ではなかなかお目にかかれなくなったハングリー感に満ち溢れている。そして、天性のボクサーではないことを自分が知っているからこその努力をする姿勢はまるで、潤くん自身と二重写しになるような気がした。
バリカンもすごく内省的で、その弱さが魅力的ではあるけれど、私は弱さを知ってでもそれを乗り越えたものになりたいと願う新次はすごく魅力的だなって思いました。

潤くんは本当に美しかったです。特にベットで寝ていて半身おこしているところ、逆三角形の綺麗なフォルムと胸板が厚くなったことと、白く浮き上がるような肌感が、高潔なエロスを感じさせる。
何度も言うけれど、鍛え上げられたうらやむばかりの肉体のあり方って、新次の存在のあり方自体にかかわるからとても大切で、それがなければ言葉で何を語っても説得力を持たないと思うけれど、ホントにすばらしかったです。

蜷川さんの舞台セットは、毎度毎度すごく印象的だけれど、今回も面白かった。
歌舞伎町の当時の猥雑さを感じさせるネオン、そしてホテルの場面で部屋の数だけ、ベットが配置されている構成。

そして、音楽はプロコルハルムの青い影、歌詞をつけたりと手を変え呈示されるパッヘルベルのカノン。
特に、青い影は好きな曲でもあるけれど、何か久々に聞いたのがこんな印象的な使い方でとても沁み入りました。


最後に一言、
潤くん、美しすぎて脳裏に焼き付いた状態が続いてます(ヤバいんだけど・・ww)

 
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2011.11.16 / Top↑
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