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本当に幸運なことに、お友達に声をかけていただけて、2回目見る機会を得て、24日(木)のソワレに、入りました。

前回は1階の最後列だったので、細かい表情はオペラグラスの力を得なければわかりませんでしたが、舞台全体の様子を全体的に把握し楽しめ、今回はC列の中央付近(前から6.7列目くらい、ちゃんと前の列数を数えなかった。オケボックス全部使っていたんでしょうか)だったため、オペラグラスなしで細かい表情、仕草などまで楽しめました。また、前回は新次を見つめ、バリカンと自殺研究会の一部の言葉や動きについていくだけで正直精一杯の部分もあったのではないかと思いますが、今回の方が前回より以上に言葉(台詞)が味わえ楽しめたように思います。

舞台全体に対する印象は基本前回と同じですが、席の問題と2回目ということもあり、細かい表情と言葉の自分の中への沁み込みやすさが違ったように思います。

(新次自体の変化は、その違いを見つけるほどに、自分の中に消化しきれていない感もあるので、よくわかりません)

それでは、続きに感想










まず、テンションがあがったこと。
席の位置的な問題なんだけど、正面を向いた台詞の時、ちょうど新次が私のあたりに目線をおきながら台詞を言うことが結構あって、とにかくひたすら潤くんを食い入るようにみつめていました。

新次に関して言えば、本当に逆三角形の細マッチョな身体の美しさ、特にボクシングシーンの汗の滴る背中とか美しい以外の言葉がみつからない。
あと、試合シーンの動き、表情は潤くん、小出くんともにスゴイですね。
特に途中からスローになるんだけど、その部分の表情、動きもまるでコマ送りにしているような感覚にさせられる真に迫ったものでした。
前回は、どうしても動きを中心にみていてスゴイなあって思っていたけれど、今回はそれに表情の細かいところまで加わって、2人ともホントにコマ送り!(これ、大変よね)


前回よりも、言葉がすごく入ってきた。
改めて感じたのはこれって、散文詩の世界だよね。
お互いの関わりで進んでいくって言うより、言葉そのものが意味を持つって言ったらいいのかな。
演者同士がお互いの間で芝居をしているっていうより、それぞれが客席に向かって叫んでいる気がするんだけど
(これは、単に私の印象でしかないんですが)
それでいて、そこにいるキャラクターが実体感がある。
1回目の時も書いたようにそこが肉体性なんだろうなって思います。(うまくいえないんだけど・・・)


今回、台詞を一生懸命、咀嚼しようとしながら、
「荒野」の意味って何なんだろうって思った。
たぶん、私が気づいた範囲では、荒野っていう言葉を使うのは、バリカンと新次で。
脚本は買ったけれど、ちゃんと読みこんでいないのでよくわからないんだけど、
東京新宿のこの誰が誰とも紐づいていないような雑然とした状況を荒野とよんでいるんだと思うけれど、バリカンと新次にとっての荒野の意味あいが違うような気がする。
バリカンやその他の人達にとっては、この荒野はマイナスイメージの中にあり、
でも新次にとってはそれは否定するべき場所ではなくてそこが新次の肥大する欲望を実現する舞台となっている・・・
(そんなふうに受け取りました あくまでも私見です)


バリカンの台詞ですごく切なくて好きな一節があって、

どこかへ 走ってゆく汽車の七十五セントぶんの 切符をくだせい
どこかへ走って ゆく 汽車の
七十五セントぶんの 
切符をくだせい ってんだ
どこへ行くかなんて 知っちゃいねえ
ただ もう ここから
はなれてゆくんだ


娼婦マリーとの場面で猟銃が鳴り響く後と、夜の公園でゆきずりの爺さん相手に自分のこれまでの経緯を1人がたりする場面での台詞。
バリカンの自分自身の殻から出たい気持ち(バリカンは吃音ということもあって、自分自身の気持ちをうまく伝えられず人とコミュニケーションがとれなかったりする)があるのにそれができないもどかしさとか切なさが伝わってくる。(って、私は感じたけど、そういう解釈でいいのか・・わからないけど)


そして改めて、蜷川さんがこの役を、今、潤くんにふった意味を考えました。

新次っていう存在って、でてくる登場人物みんなから、ある種の憧れを抱かれる存在。

新次と裏表に配されているバリカンからはもちろんだけど、
自殺研究会のメンバーからも、机上の空論に終始する自分達とは違う予想をつかないほどの欲望をもつ、それも他人の価値観の中ではなく自分自身に根差した欲望を持つ人間として。
スーパーの社長の宮本からは、素晴らしい肉体の持ち主として
そしてコーチの片目からは、自分の夢を継ぐものとして

そしてそんな新次が、試合前芳子との結婚をにおわせると、登場人物全部から一せいに「裏切り者」と攻撃される。
それに対する新次の反論の場面、なんか嵐の松本潤に思わず重ね合わせてしまって、涙がとまらなくなった。

ああ、何とでも言うがいいさ。俺はな、何でも欲しいんだよ。(中略)家庭だって、侘しさだって、切なさだって、人間が営むものはすべて、俺の欲望の対象なんだよ。・・・・・栄光?家庭があっちゃ、栄光はつかめないてt?それは、お伽噺だぜ。お前らが教えられていた腐ったお伽噺だよ。ハングリーじゃなくっちゃなんにも出来ねえなんて、冗談じゃねえ。俺は満ち足りていたって戦う。

ちょっと、曲解しすぎかもしれないけれど、この役ってザアイドルの松本潤だからこそ、輝かせて演じることができて(もちろん、肉体、演技すべて含めそれを潤くんがやりきったからこそ、説得力を持っているんだと思うけど)
世間からのいろいろな期待値なんて、軽々と乗り越えて行ってほしいっていう蜷じぃからのエールのような気もした(考えすぎかもしれないんだけどね)

自分なりの答えがみつからないままなのは、設定は1960年代のはずだけど、バリカンの死亡診断書の日付が平成23年の当日になっているっていう意図はどこにあるんだろう。
夕暮れマリーさんの脚本がそうなんですけれど。

今回、幸運にも2回みせてもらえて、そんなにわかりやすいものではないだけに、自分なりに潤くんを通していろいろなことを考え触れさせてもらいました。し

潤くんがやっていなければ、蜷川さんの舞台でも見に行ったかな?って思うので、またとない経験をさせてもらいました。

そして、何より、今のこの時期の潤くんが全力を出し切る姿を目に焼き付けられたことが何よりの宝だなって思います。


小出くんをはじめ、勝村さん、黒木さん等共演者の方達もとてもよかったです。

ある意味、共演者にとってはやりにくいところもあったのではないかと・・・
(潤くん自身に対してのやりにくさは、ないと思うけれど)
観客の9割方は潤くんを見に来ていると言っても過言ではない部分があるだろうし。
(まあ、通常でも主役に人気の俳優さんがくればそういう状況はあるにせよ、今回はかなり極端な状態だったはず)
そういうこともこみで、いい舞台をつくりあげてくれたカンパニーの皆様に感謝です!

そして、潤くんホントに、胸にひびく舞台をありがとう!

この経験を経た潤くんの「次」が、とても楽しみでたまりません。

あと、楽までわずかですが、最後まで無事に走り抜けられますように!




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2011.11.28 / Top↑
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