上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
「役者論」と題しての大友啓史監督の講演会にいってきました。


大友監督、「プラチナデータ」他、「るろうに剣心」、NHK時代の作品に「龍馬伝」「ハゲタカ」(映画版も)「白洲次郎」などがあります。
(私は、「プラチナデータ」「るろうに剣心」「龍馬伝」をみています)


講演会自体は、まず最初に大友監督の「役者論」(週刊現代で「役者論」という連載をもっていらっしゃる)について簡単に話された後、ほとんどの部分は質疑応答形式。

ニノやプラデについての部分は、もうレポが流れているようなので、印象に残った部分を中心に。


まず、今回、直接お話が伺えて腑に落ちてよかったと思えたのが、最後アトリエでリュウが浅間に対していう「痣なんてなかったよ」っていうセリフをめぐる痣の話、そしてサキがモデルの少女の絵から痣がなくなりそこの部分にモーグルが隠されていたこと。
この「痣なんてなかったよ」これがなんとなくの心情としてはわかるんだけど、でもどういうことなのかよくわからなかったんですよね。
監督曰く、これはあくまでも「サキが死んでから後の言葉であるということ」、理詰めで考えるとおかしいけれど、リュウの気持ちからでたものであるいうこと。
リュウ自体は、サキの生前あざも含めて受け入れていたし、だからこそ最後の場面で愛おしそうに痣をなでている。
そして、リュウとサキ2人の最後の時間で、、誰かが気づいてくれることを願って絵からアザを消しそこに2人の希望であるモーグルを隠している。

この「痣なんてなかったよ」っていう言葉は、ニノのアドリブだそうだけれど(雑誌のインタビューでも言ってますよね)改めてざらっとして、それでいて透明で温かく切ない、すごく刺さるけれど、受けてによっていろいろに想像が広がる言葉だなって感じました。


また大友さんが語る俳優二宮について。

本業のアイドルという立場からすると、もっと「我が強くてもおかしくない」のにスイッチの切り替えが上手で「我が消せる」
(この前に、演技力とはという質問に答える中で、大友監督自身は、我のみでやる(素顔のみえる)芝居は嫌いだという話をうけてのことです)
「コンサートのソロの虹をみてびっくりした。役者は傷があったり、心に欠けているものがある人がいいと思っているが、ある種傷に対して敏感な感じが俳優として向いていると思う」とのこと。

また、
「ファンの皆さんにはアイドルとしてだけでなく、俳優として応援して欲しい。
ニノくんは、演じるということについて真摯に考えてやっている。まだまだのびしろがあるので、あまり持ち上げすぎず応援して欲しい。」

また、ファンに対して
「俳優二宮和也を育てるのは、ファン。
俳優二宮を評価する言葉をファンがいかに持てるかによって、二宮くんをどう育てていけるかがかかっている。」

この言葉は重いですね。
監督自身がニノを評価してくださっているからこそ、俳優としてたっている彼に対してはそれをちゃんと受け止めて評価していけるだけの目をファンはもっていってほしいっていうことですものね。
ちゃんと噛み締めたいなと思う内容でした。




もちろん話は、プラデ、ニノ以外の内容が半分以上でしたが面白かったです。
原作との違いについてどう考えているのか、
映画版のテーマの1つが「神楽やサキの母でもある水上が、母性よりも社会的野心を優先させた時どうなるのか」だったということ。
映画製作を考えた時の、資金や興行的な面を考えての現実的な選択等

いろいろふだんの雑誌インタビューなどではきけないような御話も聞けたかなとも思います。

監督、眼光が強い、言葉にあふれた回転の早い方でした。














関連記事
スポンサーサイト
2013.04.28 / Top↑
Secret

TrackBackURL
→http://tarutaru19.blog16.fc2.com/tb.php/2166-dadb728e

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。