メリル・ストリーブとヒュー・グラントの「マダム・フローレンス」を見てきました。
全体に評判もよさそうだったし、予告を見る限りは劣化したヒュー様を見ることはなさそうだと判断できたので。

●「マダム・フローレンス 夢見るふたり」
監督 スティーブン・フリアーズ
出演 メリル・ストリーブ ヒュー・グラント サイモン・ヘルバーグ レベッカ・ファーガソン ニナ・アリアンダ

評判は良かったけれど、そして面白かったけれど、私的には感動に至らず。残念。
ヒュー様は、期待をたがわずとてもよかったです。
一時、大丈夫なのかなと思うくらい劣化したと感じた時期があったけれど、年はとったもののダンディさは健在。
かっこよく、でもどこか滑稽味を含んで笑いを感じさせて・・・これぞヒュー様といった感じの役だった。

メリル・ストリーブもあの歌のうまい人がここまでと思うほどうまくはずし、天真爛漫さと孤独をうまーく表現していた。

ピアニストのコズメを演じたサイモン・ヘルバーグもそのお人よしさ加減とだんだんフローレンスの人柄に魅せられ巻き込まれていく様をおかしく演じていてよかった。


にもかかわらず・・・・・・・なんか、納得できないものが残ったんですよね。私は。


フローレンスはある意味よいんです。音楽を愛し、たとえ音痴だったとしても自分のやりたいことを思う存分やって。
でも、ヒュー様演じるシンクレアがなんか納得いかないんですよね。

確かにフローレンスのことは愛していたんだろうと思う。
何よりも、彼女の音楽にかける情熱を。
でも、あんなふうに大きな鳥かごの中にいれるように、お金で彼女に対する批判を全部シャットアウトし、彼女を支持してくれる人を集めることって、愛なんだろうか。
彼女を支持するヴェルディ・クラブの人とかは、どういう気持ちで彼女を見守っていたんだろう。
音痴だということは明らか。でも彼女の人柄と情熱に魅せられた、そういうことでよいんだろうか。

お金をもっているから、かかわっていた人たちも多いのだろうな(むしろ、少なくとも最初はほとんどそこ?)
そういう人たちの中で、自分は上手と信じ込んでやっているフローレンスはどうなんだろう。

最後、カーネギーホールでのNYポストの酷評を目にして、倒れるフローレンスに、でも僕にとっては真実の(?)歌声だったというシンクレアの言葉は真実だと思うし、そこはすごくよいのだけれど、でもあそこまで本人に真実を知らせず夢の国を作り上げることは、どうだったんだろうってすごくしっくりこないものが残る。


そして、事実婚としての関係性をもちつつ、前夫から移された梅毒を患っていたことで、別居し別の女性もいてというシンクレア。
そんな単純に割り切れる関係ではないというのはわかるけれど、そういう部分もヒュー様らしい役柄とは思いつつ、なんかうまく自分の中に落ちていかないものがある。
エンディングのテロップで、シンクレアはフローレンスの死後も地味に暮らしたとあって、決して遺産目当てではないと思うけれど、純粋に愛情だけなんだろうかという気もしてしまう。


音痴であろうが、自分自身がやりたいと思うことを貫けたことは幸せなんだろうな、そしてその幸せはあそこまで徹底して周囲を買収したり情報統制したりしないとなしえなかったのかなそう思うと複雑な気持ちにもなる。

今でもカーネギーホールのアーカイブの中での再生回数は断トツだということだけど、みんなは何を見たいんだろうか。
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2017.01.05 / Top↑
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